目黒駅から大鳥神社の方へ下りてくる坂を「権之助坂」と言います。(どこからかは定かではありませんが、多摩川の方に向かって「目黒通り」と呼ばれる道になります。)‥‥‥‥‥●権之助坂とは: 江戸の中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいた。あるとき、村人の為に、年貢米の取立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その行為がかえって罪に問われてしまう。なんとか助けてほしいと言う村人の願いも聞き入れられず、権之助は刑に処せられることになり、当時新坂と呼ばれていたこの坂の上から、生まれ育った我が家を振り返り、刑場に引かれていく。権之助の村に尽くした功績をたたえて、最後に振り返ったこの坂を「権之助坂」と呼ぶようになった。‥‥‥もうひとつ違う説があるらしいが、僕はこの説を(勝手に)支持しているのである。この文献に出てくる中目黒の田道(でんどう)は、我が社のあるあたり、私のことを平成の権之助と呼んでくださっても、いっこうにかまわない。(?)